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2013-02-01 (Fri)
予報は晴れだったのに
午後からちらほら雪がまた舞い出した。

人見知りの太陽に出しゃばりの雪雲。
足元は緩んだ雪が大きな水たまりを作っている。
ぐずぐずと足踏みする冬の重々しさがなんともうらめしい。

そうそう春なんか来やしないよと
もうもういい加減にしてくださいよと
ふうふうため息ついた1月の最終日。

なかなか思い通りにはいかないもんだ。お天気も。人生も。


でも今のジブンにはこの音楽がある。
「Signed POP」の歌たちがずっとカラダの奥の奥で鳴り響いている。





そう言えば。
「音楽と人」の特集でアレンジャーの島田さんが
「守るべきものが出来たことが彼の歌をより深くしているのかもしれない」と言っていたっけ。

自分を聴いてもらう。
今思ってることを隠さずに持ってるものを全部聴いてもらおう。と腹をくくれたことも
家族や友人、聴いてくれる人に、何かを手渡したい・残したいという思いが強くなったことも
全ては「守るべきもの」がある普段の何気ない、けれどかけがえのない日々が
秦クンの中で大きく温かく存在しているからだろうなぁと、改めて感じる。

だから「Girl」はあんなに軽やかで喜びの淡いピンクが弾む春色に聴こえてくるんだろうし
「May」は秦クンと同色のエバーグリーンの穏やかな景色が見えてくるのかな。
(あぁ、ジブンのかつての実家も青い屋根だった 笑)


「唄う本人がどうであろうが、
実際唄った歌と、切り取られたその唄っている言葉が特別でありさえすれば
僕自身がどういう人間であるかは、あまり関係ないと思っている」

もう何年も前のラジオでこんなことを言っていたけれど。

結婚のときも「音楽とプライベートは別」って言いきっていたけれど。

それを聞いたときは突き放されたような淋しさを感じたけれど。

考えてみればね。
ジブンも同じだったかもしれないなぁと思う。今さらながらに気付く。


前のブログを始めた時からずーっと
ジブンのプロフィールなどをここで書く気持ちは一切なかった。

ジブンの家族構成だとか、年齢だとか、職業だとか、その他もろもろのプライベートを
ここで書く必要はないと強く思っていた。

ここにはジブンの考えと想いと願いだけ。
何ものにも帰属しない、まっさらな、裸んぼうの「ワタシ」だけを書き綴りたい。
〇〇クンのママなんていう冠付きじゃない、素のままのワタシ。

そう。
ワタシはワタシ。
どんな時も揺るがない、どこの何も寄りかからない
すっくと自分の足で立っている「ワタシ」でありたい。
昔からその気持ちが強かった。強すぎて困るくらいだった。

PC画面越しに「ワタシの気持ち」に出会ったどこかの誰かが
ワタシの想いや考えを読んで、何かを感じてくれたら、それだけで十分だなぁって
それ以外のワタシの情報を記す必要はまったくないし、関係ないことだなぁって思ってた。

ていうか、無理をしなくても自然にそんなことに触れなくてもいいくらいに
いつも「ワタシ」はあふれんばかりにコトバになって記されていった。

「よく子供のことを書かないでいられるねー。
私なら自分のことだけ書けと言われても書けないわ」って驚かれたこともあったなぁ。

その時は、そう言われたほうが内心ビックリしちゃったけどね(笑)

だって、自分は自分だもの。
どんなものを抱えていても、芯の部分は変わらないもの。


だけどね。
今は病を抱えて、もしかしたら・・と考えてしまう時になって
やっぱり大切に思うことって「守るべきもの」の存在なんだなぁって
改めて突きつけられたような感覚になっているのです。

ワタシはワタシなんだけれど、でもワタシの中で確かに息づいている大事な存在。
それもやっぱりワタシの一部なんだよね。って。
ていうか、元はワタシと一心同体で、産み落とされてもやっぱり全身全霊で守りたいものなんだよなぁって。
ふとすればホロホロ涙がこぼれるほど愛しくて大切な存在なんだよなぁって。
今ワタシがいなくなったらどうなってしまうんだろうって。
ぬくもりをひしと抱きしめる毎日。

だから秦クンの気持ちの変化もすごくすごく分かる。
今のかけがえのない日々を愛していることもすごくすごく感じられる。
「音楽とプライベートは別」と割り切っていたはずなのに
やっぱり歌いたいことは今傍にある大事な存在と日々のことで
それを歌うことがみんなと同じ暮らしの中での普遍的なことなんだと気づいている。
そしてそんな秦クンをやっぱりいいなぁと、あったかい気持ちに包まれながらアルバムを聴いている。

自然に生きていけば
自然に家族のことも歌になるし
当たり前に会話の中にもほろりとこぼれてくるものだよね。

だからジブンも
自然にここで気持ちを綴っていけば、その先に時には
家族のことも書くこともあるよなぁ、別にあったっていいなよなぁ、と思うようになりました。


でも。
だからといって。
プロフィールの欄に「〇才代の仕事は△、〇年生の母でぇーす」なぁんて
そんなことを書くようなつもりはさらさらない。一切ない。
自分自身をカテゴライズしてラッピングする趣味は全くない。

ワタシはワタシ。
その先にあるワタシは・・・。
それでいいかなぁって思う。

そして秦クンも
愛しい日々の歌を自然体で紡いでいくのだろうなぁと思う。



あとね。
「音楽と人」でコータローさんが言っていたこと。

「秦クンは正しくない形になるといいなと思っている」
「歌がちょっとよれた感じだったり、声がかすれたり、演奏がズレたり
そういうところに人の匂いが残るというか、整理されていない良さが残るんですよ」

本当にその通りだなぁと思う。

例えば「Dear Mr.Tomorrow」での2番サビ前のピタッと止めるギターのコードが違うところ。
いつもそこを聞くたびに「間違ってるよね・・」って違和感を覚えてしまって
(どうしても和音が違う部分があると気持ちが落ち着かなくなるジブンです・・)

なんでRECでこれにOKを出したのかな?撮り直ししなかったのかな?って疑問に思っていたんだけれど

あえて残したんだなぁって。
秦クンのちょっとした間違いもズレもあえて残したんだなぁって。
そこに秦クンらしい、秦クンだけの音が、秦クンの匂いがあるんだなぁって
コータローさんの言う意味を改めて噛み締めて読んでいたのでした。

いいの。
間違ってもいいの。
うまくいかないことがあってもいいの。
泣いてもいいし、怒ってもいいの。悔しがってもいいの。
そこに自分の手の跡が残るんだよね。生きてることが記されるんだよね。
ジブンに重ね合わせて、ここに書く意味も重ね合わせて、安堵しています。

やっぱ、コータローさんはよく見てるなぁ。さすがだなぁ。



なぁんて。
勝手に秦クンとジブンをシンクロさせて書いちゃってるけど(笑)

これからはもっと自然体で
書いていけるかな、いきたいな、と思っています。

でも。
ワタシはワタシ。

そこはやっぱり揺るぎない。


そして。
たとえどうであれ。

秦クンは秦クン。

なんだよね(笑)



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| ♪秦 基博 | COM(1) |
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